今日は、夜遅くまで散々しゃべりちらして、夜遅くにホテルに帰って寝た。
朝方になって、近くのベットから「さびー、さびーよー。このユースは。」と独り言が聞こえてきた。
確かに寒かった。朝になって、声をかけてみた。
「おはようございます。」
「お、おはようございます。ああ日本人だったんですか。」
「あなたも日本人ですよね?さびーとか言っていたから。」
「そりゃあ、さびーとか言って、この顔してたら日本人ですよね。」
(注意 旅行客は中国人が多く、単身で来る日本人は少ない)
聞くと、30歳。大学時代も、アルバイトの仲間や知り合いと共に作った会社(社員15人)の経営者だと言う。
30歳でも見かけは24くらいに見えた。どう見ても、学生にしか見えない。
最近仕事が忙しかったが、NASAから来た社員に(この人の会社は、SE関係)細かいことを任せて、
30までの自分の人生をまとめに本を書くために旅行に来たのだという。
会社経営の話から、だんだん文系理系の話になり(この人だけが、社内で文系なのだという)、そして、哲学の話になった。
彼は、僕の最近好きな言葉はパスカルですよ、と言う。「人間は考える葦である、ですよ。」
「ああ、人間はちっぽけな存在だが、宇宙よりも偉大だ。なぜなら、宇宙が人間を押し潰そうとする時、人間はそれを知っているからだ。
宇宙はそれについて何も知らない、とかいうやつですね?」
「その続き知ってる?知っているという事において、人間は偉大だが、それより素晴らしいのは「一輪の藍である」っていうんよ、パスカルは。
その点で、すごい科学者やなあと思う。大科学者はああいうふうであってほしいなあと思う。」
私は、そんな最後の言葉は聞いたことがなかった。
確かに、大科学者ならそれくらい言うものなのかな、と思った。
そこから、ブッダとキリストの話になった。要約すれば、不倫をしたマリアから生まれ、ユダヤ教の反抗勢力にエリート教育された人間と、
小さな国の王子様に生まれ、何もできないからと家出して、自分の考えを見つけだした人間の考え方の違いについてだった。
この人の発言ひとつひとつは、そういう歴史を思い込まされる側でなく、思い込ませる側からの視点に立っていた。
確かにそういう視点から見ると、大きく違うだろう。
例えるなら”St Pietro”大聖堂を「世界のカトリック教徒の信仰の中心で、最も地上で神聖な場所、
そのために数々の芸術家、建築家達がそれを表現しようと努めた結果がこの大聖堂である。」というのと、
「歴代強国、法王が、やりたい放題する中でもカトリックの表向きの見た目、威厳を良くし、
更に来た人をビビらせ、ひれ伏させるために、また、自分の名誉のために、金と権力をつぎ込んで、そのときの最高の芸術家達に作らせた。」
ということだろうか。
そうやって、操作する側から見た世界の歴史物事の思想について、彼は話を続けた。
そこから、延々マキャベリ、孫子と続き、マルキーズ・サドまでいった。サドについての話は面白かった。
私はサドを、ただ残虐に人を殺すような小説を書いた人、位の認識しかなかったが、その人の認識は大分違った。
話は長く続くのだが、詳しいことはここには載せない。私の理解力の不足もあるし
(要は私にあまり哲学の知識がないので、文章が書けないということです)。
私は人を、「文系」「理系」等と分けるのは、好きではないのだが、
この人と話していると、私が「理系」であり、その人が「文系」であることを、強く意識させられた。
私はもともと理科が好きだったので、また、それなりに得意だったので、確かに「理系」で頭を武装している。
同じくその人は、「文系」で、頭を武装した人だった。
その人の中の「体形」に強く憧れた。その人は趣味で勉強したとは言うが、趣味でもここまでいくものか。私も少しは勉強しなくては。
私は今まで文系を少し馬鹿にしていた。文系とは、理科のできない人、もしくは英語しかできない人、と思うところが少しあった。
(もちろん優れた文系の人が、多くいることも知ってます!!)しかし、その人を見て、考えは変わった。
文系の中にも、すごい人がいるものだ。いや、いて当然か、何か、社会のなかで理系出身者の地位が低いというのも、納得できた。
「文系」といわれる科目の本当の強さを知ることができた。
最後に心の余裕についての話になった。
「それは、例えるなら、ご飯を食べてお腹がいっぱいのとき、余ってる分を人にあげる、この時余裕があるというんですか?」と聞くと、
「いや、自分が食べていなくても、自分の腹が減っていることに気づかず、人にあげるとき、心に余裕があるんだと思う。」
という。多分、正確な答えだと思う。
あと、この人はこうも言う。「言葉は、言った人のルーツが大切や。そのルーツなしに言葉を理解できない。」
その人の言うことは、その人自身のか、引用か知らないが、引き出すときりがない。気づいたら、7時間話し続けていた。
こんな感じで、フィレンツェに来て、大して街も見ず、二日過ぎてしまった。
私のフィレンツェの印象は「商売、孫子、マキャベリ、スッタニパータ」になってしまった。
まあ、それでいいのだ。「かわいい子には旅をさせよ」と言うとき、それは、観光ではない。
翻訳:平岩