-Rome 1・2-

 私は自転車の発見を待つ間暇だったので、ローマの観光へ行くことにした。 私の泊まったユースホステルから6km程でローマ市の中心部に着くのだが、 まず初めにトレヴィの泉に出くわした。観光客がたくさんいて皆後ろ向きにコインを投げ入れていた。 後ろ向きにコインを投げ入れると、またローマを訪れることが出来るという。 また2つ入れると好きな人と結ばれる、3つ入れると嫌いな人と別れられる、そして噂によると 4つ入れると新しい恋人が見つかるのだそうだ。 私はコインを4つ入れて、はたと気付いた。 今まで誰もいないのに”新しい”とは何事か。まったく世の中私のために出来ていない。
 その後さらに中心部へ向かって行くと見える建物は、ヴェネチア広場にある ”ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂”である。エンタシスっぽい柱がたくさんある巨大な建物である。 近くまで寄ってみて驚いた。確かに巨大な建物だが、その建物のテラスにいる人の小さいこと。 そう、あまりにも大きいので、そこにいる人と比べてみて初めて異常な巨大さがわかるのだ。 テラスに登るとローマ市が見える。第二次世界大戦中は、ムッソリーニはこの建物に執務室を置き、 このテラスから演説したそうだ。内部にはその時代の博物館があり、 ボロボロになるまで破壊されたイタリアの映像がそこらじゅうに流れていた。
 次に行ったのがコロシアム、円形武闘場である。先の建物から歩いて20分くらいである。 これもデカイ。それも作られたのは遥か昔の事である。 内部を見るにはだいぶ並ばなければならなかったので、外からだけにした。 よくこんなもの作ったもんだ。まさに”頭が悪い”。
 ”ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂”からコロシアムまでの道は歩行者天国になっていて、 いろいろな人がパフォーマンスをやっていた。フォルクローレからピエロまで、 果ては真っ白な布をまとい顔を真っ白に塗った”自由の女神”もいた。ただ立っているだけだ。 観客は気の向くままにお金を入れていった。どのパフォーマンスも職業としては全く完成していなかったが、 やる人も見る人もそれがアマチュアであることを認識しているらしく、楽しげな雰囲気だった。
 その日は疲れてユースホステルに帰った。私は興奮気味だった。
「すごい思った以上だ。所詮観光地に過ぎないのかもしれないが、素晴らしすぎる。 もっと滞在したい。もっとローマが見たい。」

 次の日は聖・ピエトロ大聖堂を見に行った。この頃にはちゃんとバスにも乗れるようになった。 私はそれまでまともにバスに乗れなかったのだ。バス乗り場で待っていてもバスが来なかったり、 切符の買い方がわからなくて無賃乗車してしまったり、はたまた何番のバスに乗れば何処へ行けるのか わからなかったり。ローマではローマ人の法に従えとは言うものの、 その法すらわからないのでどうしようもなかった。だが時がたてば何とかなるもので、 無賃乗車以外の事は何とか解決した。
 で、聖・ピエトロ大聖堂へ着くと、まずあるのが広場である。やはり太い柱に支えられた屋根のある回廊が 周りを取り囲み、うじゃうじゃと観光客がいた。そして警官による手荷物チェックを経て 聖・ピエトロ大聖堂の中に入る。第一印象は”むちゃくちゃデカイ”。とにかく大きい。 天井の最も高い部分は80〜100mはあるだろうか。 天井を見上げた時視界の下の方に入る人間の姿は、雄大な空間に比べて豆粒のようである。
 またその内部は全て宗教画で埋められており、その壁は全て彫刻が納められていた。 もっと奥の部分にはこれまた巨大な祭壇があり、何やら人が集まっていた。そうか、今日は日曜日なので 日曜のミサがあるのだ。待つこと30分、10:30よりミサは始まった。 何やら騒がしく、また鈴の音がすると思ったら、厳かに僧侶達が正面玄関からの入場である。 ゆっくりとその列は歩いて祭壇へ登る。列の先頭には少年3人がろうそく及びお香をたいて先導し、 その後ろには偉い人たちがぞろぞろと30人くらい並んで入ってきた。 全ての人たちが祭壇に着き、ミサが始まった。

to be continued…