-Rome 3・4-

 パイプオルガンの響きとともに合唱団が歌いだし、また、それに合わせて司祭達は祝詞を読む。 たまに参加者一同が起立して「アーメン」とか言ったりしながら式は進む。 私はカトリック教徒でないので仕切られた中に入ることができず、立って見守ることになった。 イタリア語で(時としてラテン語で?)式は進むので何を言っているのかはわからないが、何かスゴイ。 式も終わりに近づいた時、「仲良くしましょう」とでも言ったのか、突然皆が周りの人と握手をし始めた。 私も周りのイタリア人とにこやかに握手を交わした。式は終わり、また先と同じように列を組みながら 退場していった。宗教に感動したわけではなかったが、何かいいことに出くわしたような気がした。
 私がカトリックのミサに参加するのはこれが2回目である。1回目は長崎の寂れた漁村の、 元隠れキリシタンの子孫達が行っていた復活祭に偶然出くわした事である。 あの漁村と今いるバチカンはきっと当時も関係があったのだろう。 あの漁村の司祭も昔はバチカンから派遣されていたのだから。 そんな2つの離れた、異なった文化の意外な共通点を見つけられて、何か嬉しく思った。 この後、聖堂に集まった人々は広場へ移動していった。正午に法王が広場に集まった人達を祝福するそうだ。
 正午も近まり、広場は法王に会いに来た人達で溢れかえっていた。 法王は予め幕が下げられていた窓から姿を現し、歓声とともに迎えられた。 法王は何か文章を読み、そしてまた広場に来た各国のカトリック集団(外国にはこのような組織があるらしい、 例えるならボーイスカウトや少年野球などの宗教版といったところか)を祝福した。 祝福される人々は大声を上げて喜びを表し、法王も応えて手を振った。実際法王はすごく弱って見えた。 時々言葉につまって何度も読み返したり、息が途切れたり。確かに年寄りであるのだから しょうがないのだけれども。またそれが彼の宗教的存在感を高めているようだった。 最後に長く手を振り、GIOVANNI PAOLO 3世は去った。 広場の人々も思い思いに帰っていった。泣いている人が多々あった。 年寄りだけでなく若い人までもがだ。昔の映像に見る博仁天皇に会って、会った後に泣くような感じだ。

 この後、ヴァチカン博物館へ行こうとしたけれど死ぬほど人が並んでいたのでやめた。 次の日朝一で博物館に行った。すごかった。たくさんの部屋があって、全て彫刻と絵で埋められていた。 特にラファエロの間はすごかった。ありとあらゆる所は全て絵で埋められていた。
 私はここで見たい絵が一枚あった。”アテネの学童”である。古今東西の学者が一同に集まり議論しており、 その真ん中に指を天に向けるプラトンと手のひらを地に向けるアリストテレスの二人が話しながら 歩いている絵である。私が絵で埋まった部屋をいくつも通り過ぎると、その絵は現れた。 まさに写真で見たとおりの印象そのままの絵である。ずっと前にいつかこの絵の一員になりたいものだと 願ったことを思い出した。しばし私はその絵と向かい合って自分がその絵の中にいるかのごとく 時間を費やした。嬉しい事だ。何か不思議だ。私にとって美術など教科書の中の出来事で、 縁のないものだと思っていたのだが、実際今目の前にあるのだ。
 そう言えば飛行機の中でも同じ事を感じた。前のシートにテレビがつけられていて、 飛行機の位置が刻々と表示されていた。そう、香港返還も、チベット問題も、砂漠のキツネ作戦も、 お茶の間戦争も、ユーゴ空爆も、全て足の下で起こった出来事なのだ。 いつも旅行に出て感じる。確かに世界は広い。しかし私もその広い世界を構成する一人なのだ。
 話は戻る。部屋を進んでいくとミケランジェロの大作”最後の審判”がある。 大きな部屋で、その横の壁に描かれていた。また天井には天地創造から有名な”楽園追放”、 そしてノアの箱舟までが描かれていた。その部屋全体の作品を見るため、部屋の隅は全て腰掛けられるように なっており、客は座って首が痛くなってもボーーッと上を見続ける。 ヴァチカン博物館はほぼ全体が撮影’可’になっている。しかしその部屋だけは禁止になっていた。 観光客はお構いなしに写真を撮り、片っ端から職員に注意されていた。 観光客も禁止だということはわかっているので、各国の人は各国のやり方で白々しく謝っていた。 私も「皆さん写真を撮られていたのでいいのかと…。」と謝っておいた。

 こんな感じでローマ見物をした。総じて言うなら何でも無茶苦茶デカイということだ。 何でもかんでも大きく作ればいいと思っているらしい。 そして確かに迫力があった。また美術の中心は全て人間などである。 どの彫刻も絵も全て人の形をしたものが描かれていて、自然物や動物が中心に来ることはまずない。 以上が、とりあえず私が今の所見た古代及び近代ローマの文化である。

P.S. 私は今日ローマを出発します。しばらくお便り出来ません。それでは、また。