-Costanza 2-

 彼の家はマンションの4階で、「どこに泊めればいいですか?」と聞くと、「部屋の前に。」
「高い物は積んでいないのでここでいいです。」とでも言えばいいものを、その英語が口からは急に出ず、「Thank you.」
4階まで自転車を階段で持ち上げる羽目に。自転車って重い。 総重量が40kgに満たないのに、男二人がかりでヒイヒイ。 やっとついて彼の奥さん(名前忘れた)が出迎えてくれた。 次に彼の娘が出迎えてくれた、というか立っていただけだ。 目を合わせると逃げていった。
「娘のCostanzaだ。」と彼は言った。 他にまだ首の据わらない息子の’Edward(?)’もいた。
「よかったらシャワーを使ってくれ。」と言われ、使った。 こういう時返事は全て「Yes.」だ。シャワーを使う前に奥さんから いびつに切った丸いダンボール紙に’10’とか’5’とか書かれた物をもらった。 「これは一体どういったイタリアのしきたりだろう??」と 真剣に考え込んでいると、奥さんが
「Costanzaがあなたに、って。」と言って「受け取ってやってください。」
当のCostanzaは知らん振りして、お風呂に浮かべるひよこを 水を張った洗面台に無理やり水没させたりしていた。
 シャワーを浴びて「そこに座っていてください。」 座わり、一息つくとCostanzaがよってきた。 この謎の生物とどうやってコミュニケーションをとったらよいものか。 とりあえず指を四本立てて「Four?」と聞いてみた。 Costanzaはしばらく何の事かわからず迷った後、 指を三本立てて「Tre.」と言った。3歳らしい。 しばらく先のお金について謎めいたコミュニケーションをとった後、 お金のお礼にCostanzaの名前を漢字・ひらがな・カタカナで書いてあげた。 Costanzaはじっと見て捨て去った。
 「準備ができました。」と言われて食卓についた。 出された物はとうもろこしをすりつぶしてゆでた物にトマトソースをかけた物だ。 「北部イタリアの料理」らしい。そこまでおいしい料理ではなかったのだが、 全部たいらげて、奥さんに何かイタリア語で聞かれて「Yes.」と答えると また同じ物で皿が山盛りになった。途中まで食べて、一時休戦。
ハムとチーズを皿の空いた部分に盛って食べていると、 Costanzaは嬉しそうに母親に耳打ちした。 必死に手で隠して、でも声は漏れて私にも聞こえたが、イタリア語だった。 しばらくしてお母さんは笑いながら言った。
「今ね、Costanzaはね、『あの人同じお皿にハムがのっているよ』と 言ったのよ。イタリアではね、一皿目を食べ終わったら二皿目に他の物を 盛って食べるんですよ。でも気にしないでください。」
そっか、確かに皿の下に皿が敷いてある。でも3歳児にバカにされた。
 彼とは話が続いた。旅行の話から私の専攻科目など。 「小泉は好きか」と聞かれ政治の話になると、もう英語ではついていけなかった。 それから彼は先の紙を見つけて、文字の話などをして、Costanzaに この紙には’Costanza’と書かれていることを伝えた。 Costanzaはまた母親に耳打ちした。母親は笑って言った。
「今ね、Costanzaはね、『’Costanza’の’z’はね、 テレビでやっている’zoro’の’z’だよ、’ッ’じゃないよ』って言ったのよ。」
クソ、’z’くらい書けるわ。しかしなぜ’zoro’の’z’なんだろう?? お母さんは「夜この子達がうるさいんで昼寝なければなりません」みたいな事を 言って、さよならを言って寝てしまった。

 しばらくして出発することにした。彼は食卓に置いてあった干しいちじくを 取って、「持っていきなさい」と袋に詰めてくれた。 私は彼のマンションを出発し、Costanzaも手を振ってくれた。
別れ際、彼は道を教えてくれた。「こういってこういってこういくと ’Aurelia’だ。それを行けばピサに着く。」 その通りに行くと確かに’Aurelia’に出た。 しかしそのどっちがピサへ行くのか、わからなかった。 迷ったあげく左へ行った。それからだいぶ走っただろうか、 いい加減ローマを離れただろうと思って、何か長い坂を登って 下り坂の前に見えたのは、そう、巨大なドームのある ’St.Pietro大聖堂’だった。
「俺は二日間何をしていたんだ!!」

 全ての道はローマに通ず。

 結局中心地に戻って20Euroも払って詳しい地図を買った。 程なくローマ市内を抜け出せたので、また、暗い中横をすっ飛ばすトラックに 殺されそうだったので、高速道路のインターみたいな所の芝生の上で寝た。

終わり